最近僕につけられた『本の虫』という修飾語がなんとも負担になっている。本の中に進むべき道を探そうと、たくさんの本を読んでいるけれど、実は読書を始めたのはそんなに昔のことではないからだ。以前の僕は、絵がない本の何が面白いのかわからないほど、漫画が好きで、漫画家になるのが夢だったくらいだ。つまり、普通の本には親しみがなかった。

 

そんな僕が本を手に取り始めたのは、三集アルバムの活動を始めた頃だった。カメラを見るのが怖かった頃、どうにかして克服しようと本を読み始めた。はじめはただ重苦しい気持ちで読み始めたけれど、読んでいくと苦しんでいた疑問が少しずつ解決し始めた。こうして一冊二冊と積み重ねていったのが、今どのくらいの数になったかわからない。そして、なぜ人が本を読むのかがわかった。さらに本を読めば読むほど、達成感も感じていった。それから頭の中に新しいフォルダを作った。達成感フォルダ。そのフォルダに本を詰め込み始めた。

 

本といえば僕はまず、母のことを思い浮かべる。おぼろげながら幼い頃の記憶の中で、母はいつも本を読んでいた。貧しい家で二人の子供を持つ母。いつも家事と内職で忙しかった女性と本とは、不釣合いな組み合わせだったけれど、僕の記憶の中には、いつも母が本を読む姿がある。今は目が良くないので、本をあまり読まなくなったけれど、ほんの数年前までは一日に三~四冊を読むほどだった。学生時代は図書館にある本を全て読むくらいだったとか。だけどなぜか僕には、暇さえあれば本を読んでいた母の姿が気の毒に思える。僕が思うに、母は本の中でつらい現実を忘れているようだった。そう、本は母にとって、癒しであり、友人だった。

 

自信についての本で、まっさきに読んだのはスペンサー・ジョンソンの本だった。その中で、変化に対処する方法についての本を最初に読んだのだけど、この本を読んだ後の人々の反応は、主に二タイプあるようだ。「こんな話、誰が実行できるんだ。」と片付けてしまうタイプと、「一度騙されたと思ってやってみるか?」と受け入れるタイプ。僕は後者だ。

 

「もしも僕が絶好調でノリに乗っているとき、突然映画『キューブ』のように環境がぱっと変わってしまったら、果たして僕はどうするだろうか?」

 

みんなが僕のことを順調に上手く行っていると思っていた時にも、僕はこう考えていつも備えていた。しばらくの間、変化というテーマにとても貪欲に取り組んだ。そして本を読んだらすぐに実行した。まだ僕にできることがほとんどなかった時期だったけれど、作詞と作曲に挑戦し始めた。

 

本は僕にとって大きな助けになった。単に間接的な経験をしただけではない。何らかの問題にぶつかった時、以前は一つだけの考えしか思い浮かばなかったけれど、今は色々な側面から、多角化して見る方法も本を通じて学んだ。

 

僕に「成功したければ、本を千冊読みなさい。」と勧める人がいる。もちろん冊数でいえば僕もかなりの数読んでいるけれど、数自体は重要ではないと思う。一万冊の本を読んでも表面だけで終わる人もいるし、一方で、百冊しか読んでいなくても、本の内容を生活に結びつけて実践している人がいるはず。おそらく、千冊読みなさいと言っていた人は、そのくらいの数の本を近くに置いて暮らせば、本を通じて問題点を明らかにし、その答えを探し出すことができるというアドバイスだったんじゃないかと思う。

 

最近僕は、歴史の中の敗北者達についての本を読んでいる。とてもシンプルな本で、歴史的に致命的な失敗をした敗北者たちのエピソードを扱った本だ。この本は僕のひどい完璧主義な性格を治すために読んでいる。敗北者たちの話を読みながら、完璧主義を捨ててみようと。この本なんかを読んでいる間、少しずつ僕の完璧主義が遠ざかっていったから、僕は本当に本から答えを見つけられるタイプの人間のようだ。ありがたいことだと思う。

 

自分を変えるために、ポジティブ・シンキングについての本をたくさん読んだけれど、依然として僕はネガティブな人間だ。ポジティブ・シンキングの本はまだ僕の心を完全に動かすことは出来ないようだ。ポジティブな考え方だと、自分を責めることができなくなってしまうから。本には、今の自分に満足しなさい、という話ばかり出てくるけれど、僕は満足してしまったら、そこに止まったままになってしまいそうで、満足することも、肯定することもできないんだ。だけど最近、ある人に出会って、本よりもはるかに大きな衝撃を受けた。

 

とても有能なコンサルタントの方で、こんなことをおっしゃった。

 

「私はとてもネガティブな人間なんですよ。ですが業績はとても良いんです。なぜなら私は仕事をはじめる前に、いつも最悪のケースを想定しておくんです。だから私には常に最悪の想定が頭にあるんです。」

 

これがまさに否定(ネガティブ)のパワーではないだろうか。単なる否定ではなく、肯定の力を通した否定の力ということ。この方の話を聞いてから、絶対的なものはないと考えられるようになった。

 

実はポジティブ・シンキングについての本を読んだ時、ある瞬間バランスを失っても、無条件に肯定して待つだけという、何もしないで運命に従順になれという意味だと思ったのだ。けれどこの話を聞いてからは、肯定だろうと否定だろうと、絶対的なものはなく、バランスが重要だと悟った。肯定が良くなることを想定して努力することなら、否定は最悪のケースを想定した覚悟ではないだろうか。だからいつも、きっと上手くいくだろうとポジティブに考えながら生きているけれど、心の片隅には最悪の状況になることもありうるという、ネガティブな覚悟をしなければいけないんだ。常にポジティブにだけ考えて生きられるほど、世の中はそんなに甘くない。いいようにばかり考えていると、悪い状況が発生した時に対処する能力を失ってしまうことがあるんだ。

 

本もメディアも、世間は一様に、どんな時でもポジティブであれと強要するけど、僕は違う。人生はそんなに寛大じゃない。だから世間の人達がなにがなんでもポジティブにと叫んでいても、僕はいつもネガティブな気持ちを胸に秘めている。これがネガティブな僕が、ポジティブでいることを強要してくる世間と対立して見出した共通点、肯定のフィルターを通した否定の力だ。