「どうして自分にだけこんなことが起きるの?」と思ってしまう瞬間は誰にでもたくさんある。特に生きていて最も辛い時間を、今まさに過ごしていると思っている人にとっては、一層そう思えるだろう。生老病死がそうだし、貧しさや別れ、裏切り等もそうだ。僕こそ、そういう時間をたくさん経験してきたけれど、僕は「どうして僕だけ」という風には考えたことはなかった。「どうして自分にだけ」という考えは何も解決できない、最も良くない考え方だと思う。

 

「どうして自分だけ」と考えてしまうのは、人間の本能だ。人間ほど自己愛に凝り固まっている動物が他にあるだろうか。いつだったかに読んだ本で、フロイトは、人間がどんなに自己愛が強い存在であるかを説明するために、詩人であるウィルヘルム・ブッシュの歯痛の話を例にとりあげた。自分の奥歯が痛かったら、その小さな一点の中に全神経が集中するのが人間であり、その瞬間だけは、たとえ地球の反対側で地震が起きていても、自分の奥歯のほうが辛くて大変なことだと考えてしまうものだと。結局、人は世界で戦争が起きていようが、地球に終わりがこようが、自分に影響なければ、自分が今苦しんでいる歯痛のほうが問題だと感じてしまうんだ。全くそのとおりだと思う。人は自分が大変なことを経験していると、他の人のことは見えないし、世の中の移り変わりにも興味はない。自分だけのオリジナルの不幸が見えるだけだ。

 

けれど苦痛をどのように考えるかによって、結果は本当に変わってくる。僕のような場合、「どうして僕だけ大変な思いをしないといけないの。」という考え方はしなかった。代わりに、誰でも経験しうることだと思っていた。実際そうでしょ?世界のすべての苦痛が一人にだけ集中することはない。それに、人間が想像できることは、何でも現実に起こる可能性があるから。

 

もちろん、耐えることは大変なことだ。僕みたいに苦痛を多く経験する人は、いつも辛い。苦痛というのは耐性がつくことがないから。痛くても、それでも考えることは、「これは自分の問題だから、結局自分が解決しなくちゃ。」ということだ。僕は辛くて死にそうでも、誰も僕のことを気にかけてくれない、と切なくなることはなかった。自分の苦痛を全身で痛感できる人間は、結局自分一人だけだからだ。

 

幼い時から、僕は人の助けを借りるのが好きじゃなかった。自分の問題は、自分で解決しなくてはならないと思っていた。そうでなければ、全く同じ状況に再び遭遇してしまう。僕がある一つの敵と戦わなくてはいけないのに、もしも誰かが代わりに戦って勝ってくれたとしても、それはインチキだ。僕が自分でぶつかって解決しなければ、その結果は絶対に自分のものにはならないのだから。

 

そして重要なのは、僕が苦痛と直接戦わずに、他人の助けを借りたり、逃げたりしたら、その一瞬は逃れることができたとしても、結局やり過ごすことができず、全く同じ状況に遭遇することになると知っているからだ。自然も一定の周期で巡ってくるように、人生も繰り返しだ。そして、苦痛に直面せず、一時的に回避しても、次また同じ状況にそのまま出会ってしまうんだ。だからどんなに大変なことでも、直面することが重要だ。そうすれば勝っても負けても、どんな結果になっても、次に同じ状況が繰り返された時、前に進むことができるから。