『完璧主義』という言葉、そんなふうに呼ばれている人はおそらくたくさんいて、あなたの周りにも一人くらいはいると思う。ありふれているけれど、肝心の本人やその周りの人は全員、疲れきってしまう言葉。僕がその中の一人で、さらにそれより度を越して強迫性障害にまでなっていたから、僕の完璧主義が、僕の過去の人生をすっかり支配していたといっても過言じゃない。ダンスを踊ったり、歌を歌ったりするとき、少しのミスも我慢できず、苦しんでいた日々、毎日完璧にできなくて、自分自身を責めてばかりいた日々、アルバム制作の時、やり直して、またやり直して、一緒に作業していたフタッフを苦しめていた日々、すべて僕の完璧主義の弊害だ。

 

僕のこういう性格は、日常生活の上でも出ていたけれど、仕事をする時にひときわひどくなる。一緒に作業するスタッフたちが、首をブンブン横にふって嫌がるほど。寝ずにぶっ通しで40時間もレコーディングをすることもたびたびあったから。全てのアルバムがそうだったけれど、六集アルバム(Vocolate)の序盤で、僕は本当に完璧主義をきっぱり止めることにした。それまで気にしなかった、楽器のサウンドトーンまで干渉し始めたから。ドラムトーン、ギタートーン、一つ一つに加えて、楽器の音の並べ方まで、本当にスタッフ達を死ぬほどいじめまくって作業をしていた。完璧にやりたくて。けれど、一晩中彼らと作業したものを、翌日には全部ひっくり返してしまうところまで来ると、それは単なる完璧主義ではなく、ほとんど病気に近いものだった。それだけ精魂込めたアルバムだったけれど、ある瞬間、「これって効率的なんだろうか?」という気がしはじめた。だから完璧主義について調べ始めた。本を読んで、資料をめくった。そうしているうち、ある文章を読んで、完璧主義についての僕の悩みを、ついに解決することができた。

 

「完璧さの基準を作る人間の意識自体が不完全なのだから、人間は絶対に完璧にはなれない。」

 

そうなんだ。僕は自分が完璧になれると信じていたけれど、その完璧の基準、その信念自体が不完全なものだったんだ。実際、どんな歌が完璧な歌なのかという、僕だけの基準はあるけれど、それが絶対的な基準になることはない。音楽のような芸術は特にそうだ。僕の基準が絶対的だと完全に錯覚していたようだ。

 

事実、完璧主義について、僕がしきりに悩んでいたことは、そのせいで僕が夢をあきらめることになるかもしれないという恐怖のせいだった。完璧主義は仕事を何度も先延ばしにする。完璧じゃないから、僕の基準に到達することができないから、何度も何度もやり直す。エネルギーを全てつぎこんでいても、時間がかかって仕方がない、そしてある時点でもう遅すぎると気づく、そのことがわかった。いや、遅すぎると思ってしまうことが、あきらめるということに最も近い。それが怖かった。その瞬間が来るかもしれないと。だから少しずつ、考え方を変えてみることにした。もちろん二十年以上持って生きてきた完璧主義が、一瞬で消えて無くなるとは思っていなかったけど。

 

努力しなくても成し遂げられること

1.高音と低音を楽に出せるボーカルテクニック。
思い通りに、考えなくても、楽に歌うことができるテクニック。
2. きれいな肌とかっこいい体。
3. ダンス
4. 人間関係
5. 作詞・作曲の能力
その他たくさんある。これらはむしろ努力すればするほどだめになることだ。だめだ。ただ、できると信じるんだ。努力が介入するとだめになる。
-完璧主義について悩んでいた時に書いた日記

 

僕の完璧主義の気質は、限度を超えて病的な症状まで出ていた。自分でも自覚していた。歌を歌ったり、アルバム制作をしている時だけそうなるのではなく、完璧主義はすでに僕の生活の奥深くにまで入り込んでいた。映画『これよりもっと良いことはない(As Good As It gets)(邦題:恋愛小説家)』で、ジャック・ニコルソンが演じた、強迫性障害のある小説家、メルビンを連想してほしい。メルビンが歩道ブロックを踏まないようにしようと、並々ならぬ努力をしていたように、僕も道を歩いていて、捨ててあるガムの跡を見てしまうと、百メートル行き過ぎてもずっとその考えが頭の中から離れない。また戻って踏んでいかないと先に進めないほどだった。掃除をする時、ほこり一つ残るのも我慢出来ないのは当然のこと、部屋に入って明かりをつけた後、座ってみるとスイッチの方向が気に入らなくて、立って行って電気を消して、またつけて、これを数十回繰り返したこともある。

 

こんな強迫症のせいで、学生時代に先生に怒られたこともある。授業時間に先生が黒板を消したのだけど、チョークの粉が残って黒板についているのが目についた。行って自分で消したかったけれど言い出せず、我慢に我慢したけれど、このままでは気が狂いそうだったのでついに口に出して言った。

 

「あの、先生、チョークの粉がまだ全部消えてないみたいなんですけど。」

 

はじめは先生も「うん、そうか。」と言っていたけれど、僕が我慢できず、何度も指摘したら、めちゃめちゃ怒られた。わざと授業を妨害したと思われたみたいだ。こんなふうに僕の完璧主義、強迫症はかなり長い間僕につきまとっていた。そのせいで出来ないこともすごくたくさんあった。完璧にできないなら、上手く出来ないなら、いっそやらないほうがいいと考えて生きてきたから。

 

完璧主義の怖いところは、仕事を先延ばしにすることもあるけれど、最初からチャレンジすることなく、あきらめてしまったり、楽しくなくしてしまうことだ。だけどあまりにも長い時間、自分と一緒に居たヤツだから、そうは簡単に離れてはくれないだろうと思っていた。

 

完璧主義に関する本で読んだ内容だ。保険のセールス、スポーツ選手等をグループに分けて、結果を見たら、全てのグループにおいて、完璧主義を目指す人の実績や結果が、そうでない人より悪かった。普通に考えれば完璧主義者たちのほうが、はるかに良い成果を出すように思えるけれど、むしろ反対だった。一言でいえば、非効率的だからだ。あまりにも高い基準を立てて、その基準に合わせようとするから、すぐに疲れてしまい、効率がでないのだ。さらにその途中でストレスもそれなりに受ける。このような研究結果を見て、僕は完璧主義を捨てなければいけないという気持ちが強くなった。

 

おかげでニューアルバムの制作初期に周りの人たちをねちねちいじめて、手に余る仕事をしていたけれど、後半からは少し余裕を持って作業できた。そしてむしろ後半にレコーディングした結果のほうがより良くなった。もちろん全部ではないけれど、「そうだなあ、このくらいで終わらせようか。」と思って切り上げたもののほうが、かえって良くなったことがあったのだ。不思議だった。

 

「完璧にしようとして、あまりにも多くの時間を無駄にするのはやめよう。」と、誓い続けたら、気持ちが楽になった。以前だったら、何日も眠らずレコーディングをしていたけれど、今回のアルバムは、「今日はここまでにして、続きは明日また。」と思えるようになった。

 

実際、こんな考え方は僕にとって画期的だ。以前は自分との戦いに負けることだと思っていた。だけど今は、絶対的に完璧なものは出来ない、ということを認めることができるようになった。これから僕がどんなふうに変わっていくか、僕自身も興味がある。おそらく以前よりは、たくさんの状況を、余裕をもって経験することができるんじゃないかな。こういう経験が積み重なったら、今までとはまた違う表現力がついてくるはず。

 

実は完璧主義は人間関係もすごくドライにしてしまう。人を見るとき、あの人はこうじゃないといけないという、自分の基準をもってしまって、長所を見れなくなってしまうことだ。僕が人間関係を築くのが苦手で、ますます孤独になってしまう理由がこれだ。変化は自覚から始まるという。僕が自分自身について、少しずつ悟り始めたので、人間関係にも何か変化があるかもしれない。ちょっと期待している。

 

完璧主義を捨てたい理由がもう一つある。僕に対しての人々の視線を、そのまま上手くやり過ごしたいんだ。誹謗中傷に勝とうと、もがき続けてきたけれど、僕の性格では不可能だった。僕の歌を聞いてくれるたくさんの人のほうを向いていればいいのに、僕はそうしていなかった。「十人中の一人や二人、悪口を言ったって平気。」と、気楽に考えろというけれど、僕はその一人二人を無視することができなかった。全ての人が僕の歌を聴いて感動してくれなきゃだめなんだ……。それが僕が歌を歌う理由なのに……、と。けれど、今は現実をありのままに受け入れることができる。僕の頭の中に描かれた、絶対的に完璧な状態というのはないということを悟ったからだ。

 

実は、僕は人々の視線が怖くてトレーニングも止めていた。歌を上達させたくて始めたトレーニングだった。けれど、トレーニングをして体つきが変わってくると、「歌の練習はしないで、筋トレばっかりやってんだな。」などというコメントがネット上に必ずいくつも書かれた。それが嫌だった。トレーニングを止めて筋肉が落ちたら、40センチあった腕周りもすごく細くなってしまった。「今回のフィソンは余計なことをしないで、音楽にだけ集中してたな。」と言われたくて。そんなたった数人が書く悪口に神経をすりへらすほど、僕が人々の視線にストレスを受けるのも、ほとんど病的で、これも完璧主義のせいだった。だけど気持ちを入れ替えたから、これについてもこれから何か変化があるかも……。

 

以前は、完璧主義と強迫症が、最終的には僕に幸せをもたらしてくれると信じていた。他人よりもっと苦労して、もっとストレスを受けて、自分の人生をもっと追い込めば、他人とは絶対的に違う、素晴らしい成果を得られると思っていた。苦労している間は大変だけど、いつかは幸せになれると。だけどある時、それは違うと気づいた。僕が歌を好きになれなくて、すごく辛くなってしまっていた。幸せになりたくて歌を歌っていたのに、そんな中でだんだんと痛みを感じていくようになっていたのだから。

 

今、僕は、効率性、非効率性、そんなことから離れて、幸せになりたいから、完璧主義を捨てる。あまりにも長い間、友達のように一緒に過ごしてきたヤツだから、簡単に捨てれらるとは思わないけれど、少しずつでもなくしていかなきゃね。こいつを見送った後、この空席を何で埋めることになるかな?今までとは違う経験をすることになって、それがまた歌の栄養分になってくれるだろう。いつかこの別れた友達が連絡してきて、僕に聞いてくるかもしれない。

 

「僕が離れて幸せ?」