二集アルバムのコンサートの時、歌を終えて目を開くと、僕の目に映ったのは何人もの観客が涙をぬぐっている姿だった。僕の歌が彼らの心を動かしたという、はっきりした証拠。僕は戦慄した。なぜなら、これが本物だから。お金を払っても買えない本物の涙だったから。

 

それ以来、たくさんのステージで同じような経験をした、僕はその瞬間のために、また歌を歌う。これこそ宇宙がくれた麻薬じゃないだろうか。僕はずっと前から本物になりたかった。いつだったか、音楽番組の授賞式で、外国の曲に自分の感情を込めて、歌詞をつけて歌ったことがある。僕の中にある本物についての気持ちを、本物に対する僕のあこがれを。

 

「ただこうでありますように。目に見える全てと、その人生が本物を求めて変わりますように。本物は悲しくて泣いていて。狭い狭いこの胸の中で、涙がかれる瞬間に、本物は彼から離れていくよ。」

 

僕は偽物になるのは我慢できない。例えば盗作のようなものは偽物だ。お金を稼ぐことはできるけど、お金もまた本物ではない。お金は人間が創りだした、ただの”何か”に過ぎない。人間が便利にするために創りだしたものは、全て偽物だ。本物は目に見えないんだ。

 

幼い頃、本物と偽物についての面白い体験をしたことがある。それは十一歳の時だったけど、しょっちゅう僕の気に障ることをしてくる子がいて、少しひどく殴ってやった。ところが、あとで聞いた話によると、そいつは全校でも有名なケンカの強い奴だったのだ。びっくり。たぶん僕がケンカをふっかける前にその事実を知っていたら、そいつを殴れなかったと思う。だけど、知らずにケンカしたら特にどうということはなかった。世の中の全てのことは、心がつくりだしたもの、目に見えるものは全て偽物だということだ。今考えてみると、その事件は僕に大きな悟りを与えてくれた。まるで元暁大使の髑髏の椀の話のようだ。(※夜暗いところで、喉が乾いた人が落ちていた椀で水を組んで飲んだ、その時は問題なかったが、朝になって見たらそれは人間の骸骨で、それを知ったらもうその髑髏の椀で飲めなくなってしまったという逸話。)

 

もちろん僕も幼い頃は、目に見えるものに執着していた。ダンスに通っていた時は、やたらと外見を気にしていて、どんな服を着て通うかがとても重要だった。オヤジが着るようなジャージを着て踊る僕みたいな子は、相手にされないのがオチだった。だからその時、いわゆる偽ブランドのスニーカーを買って、口では本物だと言いはった。それに付き合っていた彼女から「あんた、どうしてそんなにお金がないの。」と言われたことにさらに傷ついた。その頃の年頃では仕方のないことだった。

 

だけど、その時期を過ぎたら、物質的なものにはそれほど興味が沸かなくなった。車も今年初めて買ったし。もともと人に会ったり、外出したりすることがないから車は特に必要もなく、そのままずっと暮らしていた。もちろんこういうものは自分にプレゼントを与えることをケチる性格にも関係している。高価なものを買って、かっこいい服を買って着るのは、自分に対する賞賛とも言えるものだから。とにかく僕は欲しいものがあまりない自分自身にはかなり感謝している。

 

だけどもしかしたら、お金が本物だと考えるほうが気が休まるのかもしれない。お金を儲けるのは難しくないから。とはいっても、お金を儲けるのが楽だということじゃないよ。歌を上手く歌って、人々に感動を伝えることに比べたら、簡単なことだ。

 

歌手が目の前で悲しい歌を歌っているのに、その気持ちが伝わってこないなら、それは偽物だ。歌う人間が心から感じた悲しい感情が、そのまま人々に伝わるということ、それがすなわち本物だ。そうしようと思ったら、歌にその人の人生が埋め込まれてなければならない。僕には本物だと思える何人かの大先輩がいる。キム・グァンソク、キム・ジョンホ、チョー・ヨンピル……。彼らの歌を聴けば、すぐに胸が詰まってくる。初めから終わりまで、何かがずっと流れてくる。自分が心から感じたことを伝えている歌だということが感じられる。歌手の真心が伝えられなければ、その歌は偽物じゃないだろうか。本物でありたいという、その気持を伝えられるような、そんな歌を僕も歌ってみたい。

 

目に見えるものは、なんでも勉強することができるし、ブラウザをスクロールするみたいに簡単に頭の中に放り込んで判断することができる。だけど目に見えないものは、直接体験したときだけ知ることができて、その知識から派生する新しい結果は想像できないほどすこいものだ。だから目に見えない本物を得る仕事は、本当に難しいものだ。他の人達のように、目に見えるものが欲しくてそれを求めるのは簡単なことだ。

 

音楽をどれだけ細かく分類しようと、結局その本質は感動だ。音楽と感動、芸術感動は不等号ではなく、まさにイコールなんだ。全ての芸術は、表現という電車に乗って、感動という到着地に着くことが目標だ。そのためには、偽の電車に乗っていたら目的地に到着するのは難しいんじゃないかな。本物に乗って行きさえすれば、駅に到着するはずだ。

 

音楽学院の院長先生、偶然出会って歌を教えて下さったキム・ミョンギ先生のような方から、僕は本物の音楽について学んだ。音楽は宗教だとまでおっしゃっていた熱心な方々ったから。いつも僕に、君は歌が本当にダメで、全然まだまだだと言って、絶対に褒めたりしない方々だった。

 

「歌が上手い歌手の中には、普通の歌手より才能が四倍も八倍もある人がいるけれど、君は単なる普通の歌手だよ、普通の。」

 

「今現在、歌を初めてからどのくらいたつ?十年くらいにはなった?それなら今の君の実力は年齢にしたら高校三年くらいかね?」

 

ほんのちょっと前に言われた言葉だ。一度も褒めてくださらない方々。最上級の褒め言葉が「いつかは上手くなるんじゃない。」だという方々。まだまだお前の歌は本当にだめだと言って、絶えず努力しろと厳しく忠告してくださる。

 

本物の音楽をしている方々から聞くこういう言葉は、いつも僕にやる気を与えてくれる。どんなにかわくわくすることだろう。これから僕が挑戦して成長する部分が無尽蔵にあるということだから。