劣等感が僕を歌手にした

 

いつだったか僕をインタビューした記者が「フィソンを育てたものは、8割が劣等感だ。」という記事を書いた。完全に正しい言葉だ。僕は以前、自分が世界中の短所と弱点を、全て持っていると思っていたから、ものすごい劣等感に苦しんでいた。子供の頃は貧しい家に生まれた劣等感があって、少し成長したら外見のコンプレックス、ダンスをしていた頃は上手く踊れない劣等感、歌を始めたら才能がないという劣等感など、いちいち数えることもできないほど、多くの劣等感に苦しんで、それが辛くて泣いてばかりいた。

 

貧乏が原因で生じた経済的劣等感が、しばらくの間、幼い僕を支配していて、思春期にさしかかったら、外見コンプレックスが僕を支配した。背が低くて、太っていて、顔もブサイクで……。何一つ自分が気に入っているところがなかった。太っているのは家系で、家族全員太っていたから、ブタの一家とさえ呼ばれていた。父は電話にでる時に「はい、カヤンドン(町名)のブタでございます。」と答えるほど、身体的な欠点でさえユーモアで笑い飛ばす愉快な人だが、僕にはそんな余裕はなかった。いや、生まれつきの外見を恨んでいたほどだった。

 

だけど結果的に考えると、こういう考え方が僕の顔をもっとブサイクにしていた。自信がなくて、暗くて、自分自身を卑下する気持ちが顔にそのまま現れていたのではないか。自分の顔が気に入らないから、性格はもっと暗くなって、外見がさらにブサイクになるという悪循環が続いた。そんなだから、自信もないまま歌手デビューしても、カメラをまっすぐに見つめる事ができなかった。僕を凝視するカメラがとても怖かった。

 

カメラをまともに見ることが出来ず、そんな姿が放送されたのを見ると気分は最低だった。

 

「みんなは知らないんだ。僕は欠点だらけの人間なのに。いつか僕の正体を知って失望するに決まってる。」

 

人々の期待が大きくなるにつれ、恐ろしくなっていった。けれどカメラを避け続けることができない仕事だ。ある日、歯を食いしばってカメラをまっすぐに見た。そのついでになりゆきで、ちょっとだけ笑ってしまったようだ。ところが人々の反応は意外だった。

 

「フィソン顔変わった?」「フィソン整形したんじゃない?」

 

思いもよらない反応に、僕もびっくりした。表情が変わっただけで、顔がそんなに変わって見えるものなのか?それでわかった。全ては自分の心の問題だということを。

 

詩人白石の本には、四人兄弟の家が出てくる。その中の上の三人は、外見に不満を抱いていて、他の動物の皮を着て出歩いていた。そうしたら、天敵に食べられてしまった。本来の姿で暮らしていた末っ子だけが生き残った、という話がある。今、僕はこの末っ子のように、ありのままの姿で生きて、長く生き残ろうと思っている。

 

実は僕は、整形には特に興味はない。だけど仕事が仕事なので、五集アルバムの製作準備中に事務所から、鼻を少し直したらどうかと言われた。鼻筋の真ん中あたりが少し凹んでいたので、それをまっすぐに矯正したらという話だった。鼻を削ったり立ち上げたりする恐ろしい(?)手術はしなくていいとうことだったので、深く考えずに事務所の方針に従った。整形してしまったから、「またみんなは、整形したとかしてないとかの話をするんだろうな。」、「ネットとかで叩かれるんだろうな。」などと覚悟していたんだけれど、あれ?何の反応もなかった。本当に不思議だった。

 

むしろ三集アルバムのときに歌が上手くなりたい一心で必死でトレーニングして、アルバムを発表したら「歌に神経を使わないで体ばっかり鍛えて。」、「顔いじったね。」などということをたくさん言われた。トレーニングしているうちに自然に痩せて、顔のラインがすっきりしたせいで、整形したと誤解されたようだ。

 

だから本当に世の中は面白いものだ。本当に整形したときは誰も気づかなくて、死ぬほど歌の練習ばかりしていた時は、整形したと中傷されて。だけど鼻に人工物が入っていたら、僕がやりたいボクシングのスパーリングができないから、最近、取り外してしまおうかと悩み中だ。顔をより良く見せるのは、容姿そのものではなく、自信だということを知ったから。自分の外見に、自分自身で満足したから、最近は鏡を見るとたまに、自分がイケメンなんじゃないかとさえ思うこともある。

 

人はこんな事を言う。劣等感は克服しなければならないと、自分を卑下していては何もできないと言うことを。だけど僕の考えは少し違う。もちろん、今も完全に乗り越えたわけではないけれど、改めて考えてみると、僕に劣等感がなかったら、今の僕は居なかっただろう。弱点を克服したくて、歯を食いしばって、そうやって少しずつ前に進んできたのだから。

 

高校一年のときに自分から訪れたダンスチームでも、僕は劣等感だらけだった。ダンスを踊りたくて、ダンスが本当に好きでチームに入ったのに、そこでも僕は注目されなかった。いや、注目はされた。一番一生懸命やっているのに、ダンスが一番上達しない子だということで。僕らのチームに新しく加入した後輩たちが「あの先輩、本当に一生懸命だな。」とひそひそ話していたが、すぐに、一生懸命だけどダンスがヘタな先輩ということで知られてしまった。背も低くて、太っていて、目つきの悪い先輩である僕が、死ぬほど基本だけ練習していた時、入団してから二ヶ月もたたない後輩は、すでにテレビに出始めていた。背が高くて、スタイルも良くて。その子が腕を伸ばす練習を百回する間、僕は千回やっていたのに……。

 

「僕はどうしょうもない。みんなと一緒に習って、一緒に踊ってるのに、どうしてできないの?どうしてこうなるの。僕は他の人達と、一体何が違うからこうなるのかな?僕より遅く入ってきて、練習もしなくても僕より上手いなんて。クソ!」

-ダンスチームに所属していた頃の日記

 

本当に気が狂うほどダンスが好きだったのに、それこそダンス以外には興味がなかったのに、ダンスの才能がないということを、自分から認めるのはとてもつらかった。そうこうするうち、入団して十ヶ月後になって、ようやくS.E.S(女性グループの元祖といわれるアイドルグループ)のバックダンサーになってステージに上がることができた。すごく嬉しかった。相変わらずステージも練習も楽しむことはできなかったけれど、自分が特別な人生を歩んでいるように感じられた。だからダンスをやめることはできなかった。当時はそうやってテレビ局に出入りして、歌手の人達のステージも見ていたけれど、歌手になりたいとは一度も考えたことがなかった。ただひたすらダンス、ダンスだけだった。

 

そして僕についにチャンスがやってきた。J(日本でも活動していた女性R&Bシンガー)のファーストアルバムの曲に動員された。振り付けは日本のフリースタイルジャズだった。その当時僕は、まるでマイケルジャクソンのようにいろんな種類のダンスを踊って、目付きも鋭いほうだったので、その姿が当時のJの事務所の代表、シンチョル先輩の目に止まったようだ。

 

「ねえ、君、立ってみて。名前はなんていうの?チェ・フィソン?君らもフィソン君みたいに踊ってみなさい。ダンスはこう踊らなきゃね。」

 

こういうのが人生逆転とでもいうのかな?こう言われた以後は、誰も僕を無視しなくなった。「Jの後ろでダンスするこいつは本当にすごいぜ。」と言われるようにまでなった。その時の達成感といったら、本当に。その達成感は、僕の長年の劣等感の末に訪れたものだから、より大きなものだった。

 

それは単に”運がよかった”だからだろうか?それは絶対に違う。僕はずっとダンスが出来ないと言われていたし、そう言われたせいで僕はもっと練習するようになり、悩み苦しんだ。ダンスが上手い子らが練習しないで遊びまわっている時、僕は内心喜んでいた。その間、もっと練習して実力を伸ばすことができるから。そうすれば、少なくとも他の人達と同じくらいにはなれると思ったから。

 

当時、僕は踊りがヘタなことに加えて、他にも問題があった。どんなに練習しても振り付けを覚えられなかったのだ。どうしてこんなにも覚えられなかったんだろうか。たぶん他の人達よりも、四倍か五倍は覚える速度が遅かったみたいだ。だから四倍か五倍、それよりもっと一生懸命練習するしかなかった。踊りの上手い子たちが遊んでいる時、「どうぞ、君等は遊んでてくれ。僕は練習するから。」こんな風に思っていた。こうして狂ったように練習して、汗だくになったまま、バスに乗って家に帰る時、バスの窓を開けて風にあたった。その時は本当に幸せだった。

 

世の中に欠点のない人間はいるだろうか?僕が少し人よりも欠点が多いだけで、誰にでも欠点がある。僕は背が低いのが欠点だと思っているけど、背が高すぎることに悩んでいる人もいるし、僕にとってひどい貧乏が欠点でも、お金がたくさんあっても幸せではない人にとっては、お金が欠点になることもある。こう考えると、欠点のせいで怒り苦しんだりする必要はない。それにその欠点を最終的に克服したら、そのストーリーはどんなにかかっこいいだろう。

 

足りないという点は、どのように受け入れるかによって、弱点にもなりうるし、強みにもなりうる。今、僕は、自分の中にある劣等感を、何か埋めるべきものがあること、克服すべきことがある状態だと受け取っている。だから絶えず挑戦しなくてはいけない。これがつまり不足の美学だ。僕は自分の欠点を埋めること、それを燃料にして、今日より良い明日を夢見ている。