2008年のことだ。僕が初めて「ああ、僕にも少しは特別な才能があるんだな。」と思えたのは。世界的な歌手である、クレイグ・デイビッドが『Insomnia』を僕に依頼したという話を聞いた時、そして僕が歌う『インソムニア』が、本当に良いと人々が言ってくれた時、「僕にも何か才能があるということかもしれないな。」という気がした。それ以前までは、本当にただの一度も、自分に才能があると感じたことはなかった。大小何枚ものアルバムを出した歌手で、音楽番組では一位をとって、各種の賞を受賞した時も、いつも自分はだめだと思っていた。

 

才能があるかもしれないという、いい気分になったことは、以前にもちょっとはあった。CMソングでフィル・コリンズの『against all odds』を歌った時だったが、僕が歌う歌を聴いて、フィル・コリンズ本人が賞賛してくれたのだ。世界的な歌手が褒めてくれたので「僕にも少しは才能がある?」としばらくは思えた。いや、それよりも「僕は間違った道へ進もうとしているのではないんだな。」という安心感があったんだと思う。僕のアンチがネットに書き込んだ、僕への中傷を見るに、歌手を続けてもいいのかどうか、心がゆらいだことも何度もあったけれど、その気持を忘れさせてくれるほどの慰めになった。だけど僕には当時、人生にも音楽にも自信がなかったので、その良い気分は一瞬で駆け抜けていった。

 

僕の周囲だけ見渡してみても、劣等感を感じざるを得なかった。僕は死ぬほど歌に苦しむばかりで、どれだけ練習しても歌の実力がちっとも向上しないのに、同じ事務所のセブン(SE7EN)は楽しんで楽しんでやってるのに、音域はどんどん高くなって、呼吸もどんどん安定していくように見えた。僕は起伏が激しすぎて、午前の公演は良くできても、午後の公演はダメになることがすごく多かった。けれどリン(女性歌手)は起伏なくいつでも同じように歌えた。BOAはどんなに忙しくても、日々歌が上達していった。他の人達が僕の全盛期だと思っていた、ファースト・セカンドアルバムの活動の頃も、僕はいつも劣等感ばかり気にしていた。他の人達は、楽しみながら音楽をやっているようでいても、実力はどんどん上がっていくのに、僕はどうして、いつまでたってもこんなありさまなんだろうか?歌を歌えば歌うほど、自分で気に入る部分がなくなっていって、どんどんダメだという気持ちばかりが増えていった。

 

僕には悪い癖がある。僕も何かいいところが、少しはあるはずなのに、それを見ようとしないというところだ。多くの人々は、自分が出来ないことよりも、上手くできることのほうを見るものだ。たぶんそれは、人生を楽しく生きて、前に進むことができるための知恵というものだろう。だけど僕はちょうどその真反対だ。自分が上手くできることを、簡単に認められないだけではなく、他の人がたとえ褒めてくれたとしても、それには見向きもしなかった。それでその自分への不満のみが、そのまま積み重なっていった。他の言葉で表現するなら、貯めこんでいると言うべきかな?だけどそんな溜め込んでしまった自分への不満は忘れてしまって、すぐ目の前にある現金のように、自分のいいところが輝けるように、何度も努力していけばいいはずだ。だけど僕は、不満ばかり詰め込んで、本当に世の中を不便に生きてきた。

 

いつも自分の欠点ばかりを考えていた僕の性格は、歌をはじめて、すぐに一位になったその時も例外ではなかった。

 

「僕は本当にだめなのに……。一位になる資格はないのに……。もっと上手な人達はたくさんいるのに……。」

 

嬉しくて涙をぽろぽろ流しながらも、一方では絶えず自分の欠点が気になった。それに運命も、僕が楽して生きることをあまり望んではいないようだ。僕が人生の要所要所で出会った面々を見れば、よくわかるはず。学生時代ヒョシンとファニに出会ったし、デビューする前に音楽学院や個人的に出会った人には、コミ、ナオル、イム・ジョンヒ、ビッグママのイ・ヨンヒョンがいる。みんな一流のアーティストだ。それは僕の劣等感を刺激するばかりだった。僕が彼らより優れているところが全くないのを実感して、毎日毎日が絶望的だった。自分自身が、あまりにも惨めに感られた時期だった。それで、さらに自分を鞭打って極限まで追い詰めることにした。デビュー前にこんなそうそうたる人達に会ってしまったので、デビュー後はもっと大変なことになるだろうと思った。だから、運命は、僕に楽して生きることを望んでいないんだろうな、と思うしかなかった。

 

僕の劣等感は、自分自身を消耗させて、それは歌手生活をしている間じゅうずっと僕を苦しめた。歌手がカメラを怖がるなんて本当に最悪だった。歌を歌いながら、カメラを見つめるのが怖かった。カメラのランプがぱっとつくと、まるで暗い夜に誰かが懐中電灯をつけて、僕の顔が照らされているような気持ちになった。そんな恐怖と不安感。だから当然ステージも台無しになってしまった。

 

『ギャグコンサート』王妃号のステージに招待された日、ステージに上がって色々な話をするというシナリオが組まれていたけれど、ステージに上がった瞬間、頭の中が真っ白になって、たじたじになり、そのままステージを降りてしまった。カメラ恐怖症がぶり返したんだ。自分自身がすごく馬鹿みたいに思えて、失意に陥っていた時、母が僕に静かに言った。あんたは気持ちをしっかり持って、カメラをまっすぐに見なさいと。次のステージに上がった時、気持ちをしっかり持って、カメラを睨みつけた。その時の僕の気持ちは、「あれ、何だ?」だった。あんなに怖かったのに、覚悟を決めてカメラを見たら、全く何ということはなかった。もちろん、それ以後も、色々なことに巻き込まれて、再度カメラが怖くなったこともあったけれど、僕としてはこのことがあって、長い長い劣等感のトンネルを一度は脱出できたわけだ。

 

劣等感というのは、こういうことだと思う。自分が人より優れたものを、何一つ見いだせないということ。実際、人生の秘密はそこにあるのではないだろうか。自分が持っているものがないと実感したら、自分だけのものを増やそうという気持になり、また、その過程で自分が持っているものと、持ちたいものをはっきりと知ることができる。自分自身をきちんと知るために努力すること、それがまさに成功に近づくことができる、一番の秘訣中の秘訣だと思う。

 

成功したいとか、幸せになりたいとか思った時、それを実現している人などのロールモデルを決めておいて、それを研究するのではなく、自分自信を研究しなければいけないということに、今は気づいている。それが目標に近づくことができる、唯一の方法なのに、多くの人は他人が持っていることばかりうらやんで、自分に与えられている大切な時間を、ただ何もせず過ごしている。僕だってもちろん、まだ自分を完全に把握しているとはいえない。けれど、このうんざりするほどの劣等感のおかげで、他の人より少しは早く、自分についての研究をはじめることができたということは、どんなに良かったかわからない。