お金、外見、才能。何一つ満足できるところがなくて、僕はいつも辛かった。だけど僕が最高に大きな絶望を感じたのは、歌を始めてからだった。本当に僕という人間には、どうしようもなく才能がないということを、ひしひしと感じた。どうして僕は歌を始めたんだろう、どうして。

 

ソロデビューする前に、A4というグループでボーカルをやった。歌を歌うメンバーが必要だったので、学校のロックバンドでボーカルをやっていた僕が、彼らの目にとまって、この機会が訪れたようだ。実はその頃、僕は歌には特に興味がなく、もっぱらダンスに熱中していた。バックダンサーとして数多くのステージに上がっていたけれど、同じステージに立つ歌手には特に注目することなく、ダンスだけに集中していた。そんな折、歌手をやってみたらどうかというオファーがあったので、少しの間悩んだ。けれどすぐにOKした。その時僕は18歳。人生についてそれほど苦悩していなかった頃だ。

 

’歌手になっちゃった。僕はやりたくないけど、とりあえずやってみることにした。どんなグループなのかよくわかんないけど、だた僕はやりたいようにやってみようと、思ってはいいる。ははは。レコーディングというのもやってみたけど、僕は本当に歌がだめだな。やめろって言われたらやめないとね。’

-A4の活動を始めた頃に書いた日記

 

ただなんでもいいから注目されたいという時期だった。なにせ人生を長い目で見る能力もなく、一日一日、自分に与えられたミッションを、着実に実行してみたいという気持ちだけだった。もしもその与えられたミッションの一つでもやらなければ、大変なものを失うというような恐怖感もあった。とにかく、よくわからないまま始めた仕事、という表現が正しい。その年頃はみんなそうじゃないかな。何をしてもヘタで、何をしても中途半端。

 

はじめて、レコーディングというものをした。録音された自分の声を効いた時の、あの異質な感じといったら。それにろくな準備もせず、すぐにステージに立ったので、本当に怖くて、ふるえるようにして歌を歌った記憶がある。ダンスをステージでした経験がたくさんあるから、大丈夫だと思っていたけれど、後ろで踊ることと、前で歌を歌うこととは、こんなに違って大変だとは思いもよらなかった。

 

そのとき、どれだけ緊張してたのかわからないが、笑えない失敗もした。リップシンク(口パク)をするステージだったけれど、僕の歌のパート”許しておくれ。”の部分を歌うとき、マイクを左手に握ったまま、マイクをもっていない右手にむかって歌を歌ったことがあった。二度目のステージだったという記憶があるけれど、ガクガク震えてステージに上がって、こんなとんでもない失敗をしでかすほど、あらゆる面で未熟だった。A4に所属していたのはそれほど長い期間ではなかったけれど、その頃は歌手活動をしながら、自分自身にすごく失望した。自分が役に立たない人間に思えた。

 

ちゃんとした準備もしないで「歌手でもやってみようかな?」などという気持ちで始めたら、絶対にひどい失敗をするという、あたりまえのことを、その時経験した。失敗は成功の母というけれど、現実には、準備なしの失敗からは何も学べないのだ。失敗の後に良くなることは何もないのに、「どんな失敗でも学ぶことがあって。」とかいう、ポジティブマインドは自己欺瞞にすぎない。準備なしの失敗から、学ぶことはない。そして一度失敗してしまったら、後遺症はずっと長引く。

 

短いほんの数ヶ月間のA4活動を終えて、長くさまよう期間が始まった。本当にさまようという言葉通り、何をすべきか、どう生きていくべきか、途方にくれていた。もちろんそれ以前も、計画的に生きてきた人間ではなかったけれど、A4を出てしまってから、どこにも行くところがなかった。僕自身は、実際には変わった部分はないのに、以前のダンスチームに戻ったら、みんなが僕を「あの子は自分らとは違う道に行った子。」と、気まずそうにしていた。そんな視線を感じて、僕も気まずかった。

 

だからといって、高校に戻ることも出来なかった。何度も通ったところではあるけれど、結局愛着がある場所ではなかったから。それで大学進学もあきらめ、就職コースを選んで、アヒョン職業専門学校に行った。僕はそこで何度もショックを受けた。そこは僕の劣等感を刺激し、僕の情熱を再び動かした。

 

歌手活動をしていたこともあって、専門学校では音楽コースに入ったが、そこには芸能人の素質にあふれた生徒たちであふれていた。ダンスが上手で、楽器もマスターしていて、自分だけの音楽の世界にどっぷりと浸かった生徒たちだった。ダンスも、僕がやっていたようなテレビ用の振り付けではなく、自分たちだけのオリジナルのダンスをしていた。初めて見る世界だったし、彼らの年も僕と同じなのに、ものすごくレベルが違うと思えた。僕には、テレビのステージという実践経験があったけれど、彼らの中の一番ビリの生徒にすら、追いつくことができないと思った。その上、僕はすでに一度失敗しているのだから、もうこれ以上、チャンスがないという気がして、自分自身がますますもっと惨めに感じられた。さらには、僕のクラスにはパク・ヒョシンがいて、他のクラスにはファニもいたから、余計に萎縮するだけだった。同級生たちが後ろから僕のことを、「あの子レベルでなんで歌手になれたんだ?」と言っているのを知っていた。プライドが傷ついて悔しかったけれど、当時その専門学校には、すぐにでもデビューしてもいいような実力を備えた生徒がすごくたくさんいたのだから、しょうがない。

 

学校にはじめて登校して自己紹介をしたら、同級生たちが「歌え!歌え!」と連呼した。なので、中学校の時からの定番にしている、ユ・ヨジンの『君の香り』を歌った。ところが期待は外れた。「わー!すごい。」こんな風に成るかと思っていたけど、反応は思わしくなかった。それもそのはずだ。そこには僕よりずっと優れた才能のある生徒たちがたくさんいて、僕は単に実践経験があったこと以外は、彼らの前に立てるようなことはなかったのだから。その後も、素質と才能にあふれた同級生たちをどんどん知るにつれ、僕の頭は雷が鳴り続けているような感じだった。「僕が一生かけて練習したって、彼らくらいのレベルになれるそうにもない。」そう思って、絶望が頭を離れなかった。

 

そして僕はさまよい続けた。学校にはもちろん、ダンスチームにも行かず、活動をほとんどしてない時期だったA4の寮にも戻らず、家にもほとんど帰らなくなった。それこそホームレスみたいに、ただ何もせず時間を過ごした。お酒を飲んで、他人の仕事場で寝て、地下鉄の構内でも寝て……。

 

だけど幸いなことに、さまよっている間も、このままでは終われないという切迫した気持ちが頭の中にあって、絶えず僕は苦しんでいた。もう一度挑戦してみたいという気持ちで、頭がいっぱいだった。こんな風に自分に失望したまま生きるのは嫌だった。それで入学したところが実用音楽学院だったが、そこで僕は人生の一つの転機を迎えた。

 

その時、そのホームレスみたいな生活のままだったら、僕は今どんな姿で生きていただろうか?おそらく廃人みたいになっていたんじゃないだろうか。これが最後だと思って、もう一度挑戦したところから、僕は希望を取り戻して、その勢いでここまで来た。僕は人々がよく言う「やればできる。」という言葉は信じない。「やればできる。」なんて言葉を簡単に言う人は、本当に死ぬほど何かをやったことが、一度でもあるのかな?世の中はそんなに簡単なものじゃなく、努力したってやりたいこと全てができるわけじゃないんだ。それは僕が幼い頃から全身で体験してきて知っている。

 

その上、世の中は本来不公平なところで、僕みたいな、貧乏で背が低くて才能がない、ありとあらゆるコンプレックスを持って生まれてきた人間がいるから、本当に運命はけちだ。けれど、こんな不公平な世の中で、公平な条件を作り出す力が自分の中にあることを、今は知っている。だから、手を尽くして、努力して、不公平にぶつかっていかなければいけない。こうして何度も挑戦していけば、新しい道が見えてくる。やればできるという言葉は、間違っているけれど、だからといって何もしなければ、何も得ることができない。『猛犬に注意』という看板だけ置いておいても、泥棒に入られることは防げない。その泥棒は、看板に書いてある文章によって、身動きとれなくなるということはない。本当に犬がいるかどうか、どんな犬がいるのか、本当に猛犬なのか知ろうと思ったら、一度塀を超えて覗いてみなければわからない。なんでも一度本当にやってみなければ。